2021/11/02 08:45

今朝の東京は16.1℃、湿度92%、栗原11.7℃、湿度100%と、昨日午後からの雨もあってもっと冷えるかと思いきや、この季節とは思えないほど暖かい朝を迎えていますよ~おはようございま~す。

昨日は助っ人・ももさんと共にはさまや酒造店と七清水農園醸造所のおもてなしを強化するために、今まで手をつけられていなかったところの整理と掃除をしていました。その間にお正月の打合せなど…。今のこと、ちょっと先のこと、そして近しき未来にやりたいことなど、たくさんあってなかなか実現がするのにひとりでは大変だけれど、仲間や助っ人の人に助けていただきながら、ひとつひとつこなしていくのみだなぁと思って毎日過ごしています。


さて本日11月2日は宮城県設立の日。

(ニッポン旅マガジン、東京書籍サイトより)

明治4年11月2日(1871年12月13日)、仙台県・石巻県・角田県が合併して仙台県(現在の宮城県)に。明治5年1月8日、仙台県を宮城県に改名しています。


1871(明治4)年の廃藩置県(はいはんちけん)で置かれた最初 の県名は,仙台県でした。
 翌年(明治5年),仙台県は宮城県と改められ,その県名が現在に至っています。県名が変更されたのは戊辰(ぼしん)戦争で 旧幕府側につき,朝敵となった旧藩名の「仙台」を避(さ)けたためと考えられます。
 新たな県名「宮城」は,「宮城郡」から採られました。宮城郡は,奈良時代,陸奥国(みちのくのくに)(福島県~宮城県)の 北辺として仙台平野のほぼ中央部に置かれた郡です。7世紀後半~8世紀,陸奥国は,朝廷の勢力と朝廷の支配には入らない勢力 (蝦夷(えみし))が混在する国境地帯でした。宮城郡には,陸奥国の政治的・軍事的拠点(きょてん)となる多賀城(たがじょ う)や陸奥国分寺が置かれ,陸奥国の中でも重要な意味をもつ郡となりました。
 「宮城」の由来には,様々な説があります。宮なる城の所在地,つまり「遠(とお)の朝廷(みかど)」(宮)といわれた多賀 城(城)が置かれたことから宮城とする説。宮(奥州(おうしゅう)一の宮,塩竃(しおがま)神社や陸奥国分寺)と城(多賀 城)が置かれたことから宮城とする説。「屯倉(みやけ)」(建造物などを含めた朝廷の耕作地)が「みやき」となり,これを宮 城とする説などです。


私は京都生まれの大阪育ちですが、ご縁あって月に1週間も宮城で過ごすことになっています。いればいるほど発見があってとても楽しみな事が多く、食文化も関西とは異なるので、美味しいをいくつも楽しめていてありがたいです。

1か所に住み続けるのもよいけれど、1度しかない人生なので、日本じゅうを旅して生きていけるとよいなぁなんて最近は思ったりもしていますよ。


【本日の1枚】


雨あがりの本社の庭は美しいです。雨粒がはっぱに「ぷるん」とのっている姿ひとつひとつが美しくて、

気がつくと「今朝のいちばんビューティー」を探しちゃっていますよ。

そんな雨上がりの朝に気になるものってありませんか?


本日も最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

明日も更新しますよ~❤