2025/01/17 08:45
今朝の東京は3.5℃、湿度55%、栗原ー2.2℃、湿度100%と、キリリと冷えて気持ちの良い金曜日の朝ですね。今週は1日少ないという方が多いせいか、なんとなくSNSをみていてもほんわかモードの発信が多い気がします。
皆様のお住まいの地域では、どのような金曜日の朝をお迎えになっていますでしょうか。
30年前の1月17日午前5:46、体が持ち上がるような感覚の大きな揺れで目覚め、そのあとの横揺れに頭上近くに買ったばかりのオーディオセットがあり、それを慌てて頭上に落ちてこないように支えたことを今も鮮明に覚えています。
この話を神戸市灘区在住の人たちに言うと、そんな余裕は一切なかったと、同じ地震が起きたものの震源地に間近のところとのその差に驚きました。しかし遠いからと言って被害が少ないかというとそういうことでもなく、当時住んでいた大阪市内は二つの一級河川はさまれたところだったので、半日以上陸の孤島と化してしまいました。停電はなかったので、両親の部屋に行って起きたことをテレビで観ていると、よく言われたことでしたが、まさに映画を見ているかの如くで茫然だったのですがハタと気が付いたのが、勤めていた会社は大阪支社で市内在住でしかも橋の内側に住んでいるのは私だけだったので、会社がどうなっているか確認に行く必要があるのではと思い、当時のボスに連絡したら、ムリする必要はないけれど、いけるなら確認してきてほしいということで、公共交通網は安全確認が取れず不通、サイレン音があちこちで響く大渋滞の中、車が動かないのをニュースで見ていたので自転車でいくことにしました。
自転車なのでどこでも走れたので(今はそんなおおらかではないですが)、30分ほどで到着。
当時、まだ携帯電話はそんなに普及していなかったので、電話での会社への連絡、安否確認等とり、連絡がつかない神戸方面の社員が連絡がつかない旨伝え、クライアントや社外スタッフなどとれる範疇の安否確認をとることで精いっぱい。暗くなる前に出たかったのですが、結局、日が落ちてからまた自転車で帰るということになり、まだそのときも公共交通網は橋を渡らない所のみ動き始めていたという感じでした。これが初日の話ですが、この後しばらく仕事にならず、会社に行っても安否確認、当時は緊急支援物資などないので、水や火を使わずに食べられるものを中心に集めては配るなどしたりそんな日々を1週間ほど過ごしたという記憶があります。、
30年の間に大きな災害がいくつかあったおかげで、ずいぶん支援物資などは早く着くようになりましたが、最初の24時間はあまり変わらなさそうな感じ。自分のことは自分で守るという意味でも、安否確認の複数手段、水、トイレ、ライト(複数想定)、季節によりますが、暖を取る手段のものは必須と思いましたので参考までに。
【七十二候】にまつわるコーナー。
(旬をたのしむ 日めくり七十二候より)
小寒・末候「雉始雊 (きじはじめてなく)」
雄雉が雌雉に恋い焦がれて鳴き始める、おおよそ1月16日~20日ころまでをいいます。
け~ん、け~んと甲高い雄雉の鳴き声が早しに響いては、しん、とまた静まる情景には風情が感じられます。
そういえば、雉が日本の国鳥だというのは知っていましたか?
1947年には日本鳥学会で「日本固有の鳥だから」「母性愛があるから」「美味しいから」などという理由で選ばれています。
日本固有はわかるのですが、母性愛?美味しい???
そんなところで国鳥ってきまるんですか…とはたはた疑問だらけではありますが…
雉は美しイメージがあります。
【本日の1枚】
こちらはライト&ラジオがくっついた防災用品のひとつ。
必要なアイテムのひとつ。あかりと情報これも必須ものです。
本日も最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
次の更新は大寒・初候を予定しています。
どうぞよろしくお願い申し上げます。